7話

 まだ朝の六時だというのに、ハインツたちはポケモンセンター内のカフェに集まっていた。今日はいよいよ初めてのジムバトルがある上に、初めてのレポート提出の日でもある。
 今日これから訪れるであろう初体験を考えてしまい、三人ともあまり眠れなかったようだ。ジムに行くまでまだ四時間もある。
「だめだ〜〜! 緊張しちゃうよお」
 昨日、挑戦すると決めたときの前向きな姿勢はどこへ行ったのやら。ベルはカフェのテーブルに突っ伏して足をぶらぶらと動かしている。
「気楽に構えていいってデントさんたちも言ってたじゃないか。難しく考えすぎず、楽しむ気持ちを忘れないようにね」
「そう言ってるけど、チェレンだって緊張してるじゃない」
 ベルの指摘が図星だったのか、チェレンは咳払いをしてずれてもいない眼鏡を直す仕草をした。
 昨日はポケモンセンターで部屋を取ったあと、昼のピーク時を避けてサンヨウレストランへ向かった。案内をしてくれたデントだけではなく、同じくジムリーダーであり三つ子の兄弟でもあるコーンとポッドとも顔を合わせたのだった。
「とりあえずさ! 楽しむことだけ考えてればいいんだよ!」
 ふわふわと柔らかい印象だったデントと違い、とにかく勢いのあるポッドが料理をテーブルに置きながら三人に向かって話した。ポケモンセンターで軽食を済ませていたのでチェレンとベルは軽いデザートと飲み物を注文していたが、ハインツはひとりだけパスタを頼んでいた。
「あまり気負わないでね。気軽に構えていいんだよ」
 ポッドに続いて紅茶のおかわりを持ってきたデントが優しく微笑みかける。注文が落ち着いたころには厨房からコーンも出てきて挨拶をしてくれた。
「あなたたちがデントの言っていた挑戦者ですね。明日のバトル、楽しみにしていますよ」
 レストランで食事を済ませたあとは、少し町から出てポケモンたちが疲れない程度にバトルの練習を行った。デントが言うにはジムリーダーたちもそれぞれほのお、みず、くさタイプを使うらしく、三人で練習をすればジムバトル対策にもなるのではないかとベルが提案したからだった。バトルの経験がほぼ皆無な三人は、果たしてこの練習が練習になったのか、手ごたえを感じられず終始首を傾げながら行っていた。
 そして今日。ジムバトルに挑戦するにあたってメンタル面が平気なのか、そう考えることで更に不安が募り、どんどん三人とも口数が減っていった。
「ぶ!」
 ハインツの足元で丸くなっていたケチャップが鳴いた。ポケモンたちはテーブルの下で食事を取っていたが、それもとっくに終わっていて、どうやらケチャップたちも暇を持て余しているようである。
「ちょっと町の外でも散歩するか……」
 テーブルの下を覗き込んだハインツが呟くと、チェレンもベルも同じようにテーブルの下を覗き込んで自分たちのポケモンを見た。ルアーもリバルトも落ち着きなくうろうろしたり、辺りをきょろきょろと見渡している。
「さんせ〜い! 気分転換必要だよ」
「昨日練習したのと同じ場所でいいかな」
 そう言って一同は立ち上がると、サンヨウシティの外まで足を運んだ。

 結局三人は町の外でも特にこれといってやることを見つけられたわけでもなく、草の上で寝転んだりぼーっと空を眺めたりポケモンたちと触れ合うだけの時間を過ごした。ようやくジムに行く時間になったのでサンヨウジムへ向かい始めたが、三人の顔には既に疲れの色が濃く出ていた。
「なんだかお疲れのようだね。緊張しちゃって眠れなかったのかな」
 レストランの入り口の更に左に向かうとジム用の入り口がある。その入り口で待ってくれていたデントがハインツたちの顔を見て心配そうに苦笑した。
「その通りです……」
 ベルがため息と共に答えると、残りの二人もため息混じりに苦笑する。
「お〜い、暗いぞ暗いぞ! せっかくの初めてのジムバトルだろ? ジムに入る前からそんなんでどうするんだよ!」
 中から出てきたポッドが三人に向かって叫んだ。続いて出てきたコーンも三人の様子を見て、どうしたものかと腕を組んでいた。
 デントはパンパンと手を叩いて全員の注目を集めると、明るい調子で話し始めた。
「さあ新人トレーナーさんたち! そう気負わないで。今日は僕たちジムリーダー三人と、君たち三人、そしてポケモンたち六匹みんなで楽しい時間を過ごそうね」
 じゃあついておいで、と言うと、デントは軽い足取りでジムの奥へと歩いていった。ハインツたちもデントに続くと、コーンとポッドも最後尾についた。

 レストランと同じくらいの広さの空間にはほとんど物が置かれていなかった。ジムリーダー用の端末と、クリーム色の床に描かれている白線だ。その線は巨大な長方形を描き、それぞれの短辺に小さな半円が添えられていた。この長方形の中こそがポケモンたちの戦う場所であり、半円がトレーナーの立ち位置を示している。
 新米トレーナーの三人は、デントに指示された通りに半円の中に収まった。元々一人分のスペースのはずだが、三人入っても大きく動かなければぶつからない程度に広かった。
 ジムリーダー三人も同じように向かいの半円に並ぶ。
 ベルの正面にはポッド、チェレンの正面にはデント、ハインツの正面にはコーンが立っていた。
「制限時間は五分です。それぞれのタイプの相性を考えてバトルしてみましょう」
 少し背筋を伸ばしたデントが、いつもより丁寧な口調で声を張り上げハインツたちに伝えた。
「サンヨウジムリーダーのポケモンはこの子たちです」
 そう言うと、ジムリーダーたちは自分達の前にポケモンをくり出した。デントの前にはくさタイプのヤナップ、コーンの前にはみずタイプのヒヤップ、ポッドの前にはほのおタイプのバオップが立っている。
 三人もジムリーダーに倣い、ルアー、ケチャップ、リバルトをくり出す。
「さあ、バトルを開始します! 初めてのジムバトル、楽しんでいきましょう」
 デントが右手を上げると、隣のコーンがホイッスルを鳴らした。
 ハインツたちは拳を握り締め、それぞれ顔を見合わせたあと正面に向き直る。
「行くよ、ハインツ、ベル!」
「うん!」
 チェレンの言葉に頷くベルを見て、ハインツも力強く頷いた。
 真っ先に動いたのは、ポッドとバオップだった。
「ポケモンバトルは先手必勝! ひっかくだ!」
 バオップは勢いよく地面を蹴って飛び出すと、正面のリバルト目掛けて腕を振り下ろした。渾身のひっかくはリバルトの胴体に直撃し、ベルの足元近くまでゴロゴロと転がった。
「リバルト、大丈夫?」
 悲鳴に近い声でベルが叫ぶが、リバルトは怯む様子も無く素早く起き上がった。
「タイプを考えて、か。正面のポケモンとやり合ったらこっちが不利だね」
 ジムリーダーのポケモンたちを見渡してチェレンが呟いた。ルアーに向けて、バオップを指差して声を張り上げる。
「ルアー! バオップにみずでっぽうだ!」
「リバルト、たいあたりをやり返しちゃえ!」
 チェレンの声にベルの声が重なった。
「えっ」
 思わず互いの顔を見合わせ動きが止まる。しかしポケモンたちの動きは止まらなかった。
 ルアーのみずでっぽうが、バオップ目掛けて走り出したリバルトに降りかかる。驚いたのかトレーナーたちと同じように顔を見合わせた。
「周囲を良く見ることも大切ですが、目の前の注意が疎かになってはいけませんよ。ヒヤップ! みずでっぽう!」
 チェレンとベルの騒ぎに目を向けていたハインツは、コーンの掛け声でハッと正面に向き直った。ヒヤップは既に水を吐き出そうと構えているが、ケチャップはリバルトたちを見たままである。
「ケチャップ! ヒヤップにたいあたりだ!」
 ケチャップの耳がピンと立ってハインツの指示を捉えると、迫り来るみずでっぽうに向かって走り出した。一直線に飛んでくる水を、四肢を後ろにして床を滑るようにかわし、そのままヒヤップの腹に頭を突っ込んだ。
「良い返しですね!」
 自分のポケモンが攻撃されたというのに、コーンは楽しげにハインツを賞賛した。もちろんたいあたり一度でやられるようなヒヤップではなく、すぐさま立ち上がっていた。
「臨機応変にポケモンに指示できるかな? 焦らずにいこうね。ヤナップ、ミジュマルにつるのムチ!」
 ヤナップの攻撃が容赦なくルアーを襲った。足元まで転がってきたルアーにチェレンは名前を呼びながら駆け寄る。
「ヤナップにひのこだ!」
 ハインツが叫んだ。
「おっと、そうはさせないぜ!」
 すかさずポッドが指示を出すと、バオップはヤナップの前に駆け出してひのこを受け止め、そのままケチャップに突っ込み攻撃をくり出した。バオップのひっかくにひるんでいる隙に、間髪入れずヒヤップがみずでっぽうを吐き出した。
 ケチャップもルアーと同じようにトレーナーの足元に転がっていく。
「ケチャップ!」
「ど、どうしよう、すごいコンビネーションだよお……!」
 一斉に下がって再びそれぞれのジムリーダーの前にヤナップたちが立ち並んでいた。
「とにかく、攻撃しないとどうにもならないだろ」
 見るからに慌てているベルを落ち着かせようとしているのか、それとも引きずられないように頑張って平静を装っているのか、チェレンはゆっくりと落ち着いた調子で声をかけた。しかし、握り締めた拳からベル同様慌てているだろうというのが見て取れた。
 ハインツたちは反撃を恐れてしまい、これといった攻撃が出来ないまま時間ばかりが過ぎていった。
「あと一分だぜ!」
 ポッドが高らかに宣言する。
「ほ、ほんとにどうしよう! 何もできないまま終わっちゃうよお」
「考えろ……考えろ……」
 泣きそうな顔のベルと口元に手を当てて考え込むチェレンを見て、ハインツは頭がますます真っ白になっていくのを感じた。
 何も出来ないという絶望感、プレッシャーで悲鳴を上げたくなるほどの緊張感、ポケモンバトルを甘く見すぎていた自分への失望感。その波が一気に胸に押し寄せてきたかと思うと、その全てが感じられないほどに頭が空になっていく。
 だが。
 ハインツはこれを知っているような気がした。戦うということを、この緊張感を、経験したことがあると、なんとなくそう思った。
 すると途端に鼓動が落ち着き、呼吸が整う気がした。勢いよく巡っていた血が、いつも通りに流れていくようだ。
 突如、閃いた。目の前のポケモンたちの、ケチャップたちの動きを閃いた。こう動いてみよう、これをやってみよう、胸の奥底から己の心を突き動かす衝動が駆け巡り、緊張は興奮に、失望は自信にすり替わっていく。
 ハインツはチェレンとベルを見た。声をかけずとも二人は振り向き、ハインツを見て頷いた。
 分かる。何故だか知らないが、この『閃き』が、二人にも、そしてポケモンたちにも伝わっているのだという根拠のない自信が湧き上がってきた。ケチャップたちもハインツを見て、それぞれのトレーナーの前で構え始めた。
 いこう。
 そう思うと、全員が一斉に前に向き直った。
「…………来るよ」
 聞こえるか聞こえないかの音量でデントがぼそりと呟くと、コーンとポッドが僅かに口角を上げた。
「いけ! ケチャップ!」
 ハインツの号令でケチャップが一気に駆け出した。中央のヤナップ目掛けて一直線に走っている。
「よし、俺が応戦してやる! バオップ、ポカブを狙え!」
「ヤナップ、追撃に備えてバオップに続くんだ」
 飛び出したバオップの後ろにヤナップがついていく。
「ヒヤップもバオップに続いてください」
 コーンの言葉にヒヤップもヤナップと並走する。
「さあ、何を見せてくれるのかな」
 新米トレーナーの最後の足掻きが一体どんなものなのか。
「いけえリバルト! つるのムチ!」
 正面に拳を突き上げてベルが叫ぶと、中央を走るケチャップの右脇からリバルトが素早く飛び出した。リバルトは地面を蹴って跳躍するとつるのムチを放つ。
「どういうことだ?」
 思わずポッドが叫んだ。そのムチはバオップではなく、ちょうどケチャップとバオップの間に向けられて放たれていた。
「ルアー! 今だ!」
 チェレンの掛け声と共にケチャップの左脇からルアーが飛び出す。リバルトのつるのムチを掴み、ルアーとリバルトが同時に正面に向かって全速力で走り出した。
「おっと、これは……」
 デントが言い切る前に、バオップたちがつるに絡み取られ後方に転げ回っていくのが目に入った。
「みんな! たいあたりだ!」
 ハインツの号令でケチャップたちが正面のポケモンたちを一斉に攻撃した。それぞれジムリーダーの足元まで転がっていく。
「お見事……!」
 デントが呟くと、コーンがホイッスルを鳴らした。
「試合終了だよ、みんなよく頑張ったね」
 ハインツたちは唖然としていて、しばらく目をぱちぱちと瞬きしながらその場で立ち尽くしていた。ポケモンたちやジムリーダーたちが近寄ってくるのを見て、ようやく深く呼吸をした。
「っ……、はあ」
「すごいすごい! すごいよお! あたしたち、やったんだよお!」
「ゆ、夢でも見てたみたいだ……本当に僕たちが……?」
 チェレンは未だ信じられないと言いたげに二人の顔を見合わせていた。ベルは喜びを体いっぱいに表現してその場で何度か跳ねたあと、ハインツとチェレンの腕を掴んで引き寄せてそのまま跳ね飛ばしそうな勢いで抱きついた。
「ポケモンたちって、すごいんだねえ!」
 何言ってんだ、とポッドが口を出した。
「お前らだってすごいんだぞ」
「ええ、本当に。最後の動き、素晴らしかったです。つい先日ポケモンをもらったばかりとは思えませんでした」
「三人ともおつかれさま。さあ、これを受け取って」
 ハインツたちの前まで歩いてきたデントの手元には、ビロードに覆われた両手に収まるほどのケースがあり、そしてその上にはきらりと輝くものが三つ。
「これはトライバッジ。君たちが初めて手にするジムバッジだよ」
 ハインツたちは合わせたわけではなかったが、同じような動きで同時にバッジを受け取った。親指ほどの大きさだが、しっかりと金属で作られているからかずっしりとした重みを感じる。
 ポケモンと協力した証。チェレンとベルと共に挑んだ印。
 ハインツはしばらくバッジを眺め、この重みの意味を噛み締めていた。
 左足に何かが触れる感覚がしたので目を向けると、ケチャップが擦り寄っているのが視界に入った。ぶ、と鼻を鳴らし額をハインツに押し付けている。
「ケチャップ」
 名前を呼んで屈み込んだ。鼻筋から額にかけてを二、三度撫でる。
「俺たち、やったぞ」
 バトル中に感じたものとは別の充足感がハインツの胸の内を満たしていた。自分の呼びかけに応えて鼻を鳴らすケチャップを見て、誇らしい気持ちが湧き上がってくるのを感じた。心をひとつにする、というのはさっきみたいなことなんだろうかと思った瞬間、違和感を覚えて眉を顰めた。
 バトルの興奮が冷めていくにつれ、先程の一体感がどう考えてもおかしかったと思えて仕方がなくなった。だって、誰も何も言ってなかった。でもここに居る全員が、一斉に同じ考えを持ってそれを実行したという事実だけがそこにある。
 あれはなんだったのか。ハインツは何故か急に怖くなって、逃げ出したい気持ちが込み上げてきた。
「ハインツ、どうした。顔色悪いよ」
 チェレンが顔を覗き込んできたが、咄嗟に俯いて目を逸らした。
「……なんでもない。ちょっと、疲れただけ、だと思う」
 そう言うハインツの肩を、デントが軽くぽんと叩いて注意を自分に向けさせた。
「慣れないバトルだったからね。ポケモンたちも休ませなきゃだし、ポケモンセンターに向かったらどうかな?」
「お前ら、初めてなのにすごかったぜ! ゆっくり休めよ!」
「エントランスまでお見送りさせてください」
 ハインツたちは三人のジムリーダーに見守られながらサンヨウジムを後にした。

 ポケモンセンターにポケモンたちを預けて少し休憩すると、三人は急に空腹感に襲われセンター内のカフェに向かった。朝食が喉を通らなかったからか、とにかくぐうぐうと腹が鳴って仕方がなかった。
 注文した食事を持って正方形のテーブルの四人席に座った。ハインツはトマトのソースがかかった大きなステーキとパンを、チェレンは具がたっぷり詰まったブリトーを、ベルは一気に齧れないほど分厚いハンバーガーを注文していた。
 普段お喋りなベルでさえ口をつぐみ、ハインツたちは腹を満たすことに注力した。黙々と食事を口に運び、すっかり器を空にしてようやくベルが口を開く。
「ねえ、ジムバトルさ、すごかったよねえ」
 ハインツとチェレンに話しかけているというよりほとんど独り言に近かった。
「一瞬だったような、すごく長かったような、変な感じだったよねえ」
「僕は長く感じたな。だってまだお昼だよ? 気持ち的にはもう一日の終わりって感じだよ」
 そう言ってチェレンは懐からジムバッジを取り出した。デントたち三人を表す三色の菱形が連なり、それを金色の縁取りが囲んでいる。ハインツとベルもつられて手元に出してバッジを眺めた。
 ポケモンリーグ公認のジムバッジ。まさかこれを自分が持つことになるなんて想像したこともなかった。人生、何が起きるか分からないもんだなとハインツは心の中で呟いた。
「そういや、今日はレポート提出の日だよな」
 ハインツがぼそりと言うと、チェレンとベルが頷いた。
「どんな風に書いてる?」
「僕は日誌みたいな感じで、その日の出来事とポケモンの様子をまとめて書いてる。今日はジムのことだけ書けばいいかなって思ってるよ」
「あたしは別に毎日書かなくてもいいって言ってたから、初めてバトルしたこととか、プラズマ団のこととか、気になったことだけピックアップして書いてるよ」
 二人の言葉を聞いてハインツは苦笑した。昨日も一昨日も、いざレポート用紙を前にすると何を書けばいいか分からず結局なにも書いてないのである。
「……もしかしてハインツ、何も手をつけてないのかい」
 チェレンの鋭い指摘に俯きながら頷いた。
「困ってたなら言ってよお。あたしてっきり何も言わないから順調に書いてるものだと思ってた」
「わ、悪い……」
「あっ違う違う! ハインツを責めてるわけじゃないよ! むしろ謝るのはこっちだよね。ごめん」
 何故ベルが謝るのだろう。ハインツは不思議に思ってベルの顔を見たが、訳を聞く前にチェレンが口を開いた。
「僕の方こそごめんね、ハインツ。君が悩んでるのに全然気づけなかった。もっとちゃんと話をするべきだったね」
「レポートは今日までに提出すればいいんだから、今からやれば大丈夫だよ! 何書くとか決めた? あたしみたいに主な出来事を書いてくのもいいんじゃないかなあ」
 ハインツは慌ててリュックからレポート用紙と手帳を取り出すと、テーブルの上に広げた。邪魔になるだろうからと、チェレンはすかさず食べ終えた食器たちを返却口へまとめて戻しにいく。
「レポートは、ほんとに何も書いてないんだけど、手帳の方にちょっとだけポカブについて調べたこと書いてて、これをなんか活かせないかなとは思ってるんだけど……」
 ポカブについてネットで調べたことを乱雑に書き記したページを開いた。旅の初日の寝る前に書いたので、大して量も無く、ひたすら箇条書きが並んでいるだけだ。
「うんうん! 良いと思うよ。チェレンとあたしは日誌とか日記ぽく書いてるけど、自由に書いていいってアララギ博士は言ってたよね。どうしてポカブについて調べようと思ったのかって経緯を先に書いておいて、手帳のメモをきれいにまとめ直して書き写したらどうかな?」
 食器返却を終えたチェレンが再び席に座る。
「ポケモンセンターには自由に借りられる本があるんだ。あっちの本棚がそうだよ」
 そう言ってチェレンがカフェスペースの壁際を指差した。ハインツの腰くらいの高さで、横は両手を広げたほどの本棚には、子供向けの絵本から少し難しそうな専門書まで色々なジャンルの本がぎっしり詰まっている。ポケモンセンターの外に持ち出さなければ自由に読んで良いと説明書きがあった。
 チェレンは席を立ってその本棚に向かうと、いくつか本を引き抜いて戻ってきた。
「ポカブが載ってる図鑑や専門書があったから、これも参考にするといいんじゃないかな」
 子供向けのイッシュ地方のポケモンについて書かれた図鑑や、イッシュのりくじょうグループについて書かれた本、ほのおタイプについての本などがあった。
 ハインツは図鑑を手に取って索引でポカブの名前を探すと、該当ページを開いた。そこにはポカブだけでなく、進化系のチャオブーやエンブオーの写真も大きく載っており、簡単な説明が数行書かれている。
 野生下のポカブの写真を見て、ケチャップは普通のポカブよりも少し額の黄色の模様部分が大きいのかも知れないと思った。
「……ありがと。なんか、ちょっと書けそうな気がする」
「困ったときは助け合おうね、ハインツ。あたしだとちょっと頼りないかもだけど」
「そんなことない」
 自嘲気味に笑うベルに、ハインツは力強く返した。
「僕たちもレポートの続き書いちゃおうか。書き終わったら、もう何もせずにゆっくりしようよ」
 チェレンとベルもレポート用紙を取り出してテーブルに広げた。

 三時ごろにレポートを書き上げた三人は、ポケモンセンターのエントランスの脇にあるマルチコピー機に向かった。レポート用紙をスキャンし、その画像データをアララギにそのまま送ることができる。
 チェレン、ベル、ハインツの順でスキャンしてレポートを提出すると、三人は大きなため息を同時に吐いた。
「はあ〜、初めてのレポート提出、緊張したねえ」
「ちゃんと届いてるといいんだけど」
 心配そうに呟くチェレンに応えるようにアララギから渡されていた連絡用端末から通知音が響き、メールが一通届いていると伝えてきた。自動送信のメールで、レポートのデータを受け取ったと簡潔に書いてある。
「とりあえず大丈夫そうだね」
 三人ともメールを確認すると、顔を見合わせて疲れた笑いを浮かべた。
「ほんとに疲れたね……さっさとベッドでゴロゴロしよ……」
 ベルの提案に、二人も深く頷いた。

2023年11月4日