グスターヴォは息を切らして走っていた。
先程会ったアッシュが言うには、ワン・コンサーンの塔にショックウッドの住民たちが何人か向かったらしい。ただ向かうだけなら良い、適当にあしらわれて追い返されるだろう。
住民たちは、コンサーンに対する確かな敵意を持って向かったと聞いている。アイボリーの枯渇が問題となっている今、コンサーンに不満を抱いている一般人は少なくない。
住民たちに話を聞いてすぐに駆け出そうとしたグスターヴォを見て、もう間に合わないだろうから放っておけ、とアッシュが言っていた。やめておけと言うくらいなら話をしなければよかったんじゃないのか、とグスターヴォは思った。助けられる命があるかもしれないのなら助けに行くのがグスターヴォだ。アッシュもそっけない態度を取りつつも、内心では住民たちを心配しているのかもしれない。
しばらく走っていると、遠くに人影がふたつ、静かに倒れているのが見えてきた。塔まではまだ遠いが、コンサーン兵の巡回ルートに含まれている場所だった。
人影のひとつは予想通りコンサーン兵だった。おそらくここの巡回兵なのだろう。もうひとつの人影は、一般人の男性だった。何かの制服を着ている様子ではないので、ショックウッドの住民のひとりだと思われた。
正面衝突したのか、それともこの男性が囮となって巡回兵をおびき寄せたのかは分からないが、両者ともなんとか生きているけれど重症だった。撃ち合いになったのだろう。怪我のほとんどは銃創だった。
グスターヴォは眉間を押さえた。ふたりを確実に助けるなら、リュックからキットを取り出して今すぐにここで治療を行う必要がある。だが、もし巡回兵がもうひとり居たとしたら、この男性もろとも自分まで射殺されてしまうだろう。このまま放っておけばふたりとも確実に死ぬが、ふたりとも助けられる状況ではないのも明らかだった。
グスターヴォは両手で顔を覆った。
この瞬間が大嫌いだった。
自分が置かれている状況と自分の力量を客観的に見て、自分が助けられる人間を今ここで選別しなくてはいけない。1秒でも長く悩んでしまえば、その分、怪我人の生存率が下がる。
胸が締め付けられたように痛む。悩むな、悩むな、と自分に言い聞かせた。グスターヴォは腰のポーチを開けると、簡易的な止血を男性に施し、傷を圧迫しないように抱え上げその場から離れた。
コンサーン兵の巡回ルートから少し外れた、動物もあまり近寄らない岩陰に落ち着くと、グスターヴォはリュックから治療キットを取り出して男性の治療を始めた。野外なのでできることは限られているが、それでもなんとか治療を終えることができた。熱が出ているからか、男性は苦しそうにうなされていた。
男性を横目に、グスターヴォは大きく深いため息をついた。置き去りにしたコンサーン兵のことをずっと考えていた。
あそこは巡回ルートだから、きっと他の兵士が見つけてくれるだろう。それにコンサーンの方が良い治療を受けられるに違いない。
自分を諭すように心のなかでそう繰り返していた。
居づらさから故郷を出て、医者として各地で人助けをしているが、充実感で満たされたことはほとんど無い。助けた人間に、海賊だの何だのと罵られたことも多い。死にたかったのに何故助けたんだと叫ばれたこともある。今だって、ひとりの人間の命を救ったのに、そのために切り捨てた命が気になって仕方がない。
なんでこんなことをしてるんだろう、と思うことが多々ある。いろいろ悩んだ挙句、結局いつも、幼少期にこんな人が居てくれたら、と思っていたからなんだろうな、という結論で落ち着く。人種も職種もなにもかも関係なく、苦しんでいる人を助けてくれる人、助けを求めている人に手を差し伸べてくれる人、そういう人がそばにいて欲しかった。
そう思ってる人がどこかに居るのかもしれない、グスターヴォ少年のような人が静かに助けを求めているのかもしれない。
そう思うと、やっぱり歩み続けようと思うのだ。
「うっ……」
背後から呻き声が聞こえたので振り返ると、男性が目を覚ましこちらを見ていた。
「大丈夫さ、兵士は居ないよ」
グスターヴォがそう言うと、男性は固くなっていた表情をすこし和らげた。
「コンサーンに挑むなんて無謀だよ。たいした武器も持ってなかったんだろ」
男性は何も言わず虚空を眺めていたが、しばらくするとボソボソと喋り始めた。
「……娘が、聖罰で死んだんだ………すごく、良い子で……孫も生まれたばかりで………とても、信心深かったんだよ……」
瞳に涙を浮かべながら、静かに、しかし強い怒りを込めて、男性は喋り続けた。
「妻も、もう居なくてね……命を、かけて、どうにか、現状を、変えたかったんだよ……」
喋るたびに傷が痛むのだろう。額に汗を浮かべながら、苦しそうに話している。グスターヴォは男性をまっすぐ見つめ、無言で話を聞いていた。
「だけど、いま、娘の夢を、見たよ……昔、一緒に、住んでたころの、夢を………おれがいま、死んじまったら、幸せだったあの日々を、覚えているやつが、誰も、居なくなるんだなって思ったら……もうれつに、死にたく無くなって……」
男性の瞳から大粒の涙がぼろぼろと溢れてきた。起きたばかりの時の、ぼんやりとした表情はもうどこにもなかった。
「ありがとう……こんなおれを助けてくれて……死にたくねえな……死にたくねえよ……馬鹿だなあ、おれ……」
そう言うと、男性はこどもみたく泣きじゃくった。傷にひびくからあまり声は出さずに、だけど抑える様子もなく、ひたすら泣いた。
グスターヴォも泣きじゃくる男性を眺め、静かに泣いた。