ものすごい痛みが襲ってきているような気がした。どこが痛いわけでもなく、ただ漠然とどこかが痛い。苦しくて、息が詰まって、呼吸もままならない。
助けて欲しい。
誰か、誰か。
手を伸ばそうとしても体が動かない。
苦しい。
あとどれだけ、こうしていればいいのだろう。
誰かに助けを求めようとしたが、誰の名前を呼べばいいのか分からず、吐息だけが漏れた。
エルロは、穏やかな丘の上で目が覚めた。なぜこんなところに居るのか理解できずにいたが、目線を落とすと可愛らしいピクニックシートが目に入り、徐々に記憶が蘇ってきた。
今日は家族みんなでピクニックに来ていた。
先月から今日はピクニックに行こうと決めていて、どうやら娘のエラは楽しみにしすぎて昨日はあまり寝られなかったらしい。深夜近くにエルロが帰ってきたときもまだ起きていて、妻のヘネッタが呆れていた。
ここ最近激務が続いているらしく顔に疲れが濃く出ているエルロに、ヘネッタが気遣ってピクニックを延期させようと言ってくれたが、エラの楽しそうな顔を見ているとこっちまで嬉しくなって決行することにした。
今朝は久しぶりに家族3人でキッチンに立った。エルロは踏み台を持ってくるとそこにエラを乗せてやり、落ちないようにエラの後ろに立って手伝った。キッチンはそこまで広くないので、3人で立っているだけでもぎゅうぎゅうだ。エラがもう少し大きくなったらこうやって料理できないね、とヘネッタが寂しそうに呟いた。
エラはエルロに手を添えてもらいながら、ゆっくり、ゆっくりと苺とオレンジを輪切りにした。キッチンに爽やかなフルーツの香りが広がり食欲を刺激されたが、3人ともぐっとこらえてフルーツサンド作りを続けた。
今日は特別な日だね、とエラが言った。いつもはヘネッタが、栄養バランスをしっかりしなさいとか、ちゃんとしたご飯を食べなさいとか口うるさく言うくせに、たまにはお昼に甘いフルーツサンドをお腹いっぱい食べてもいいでしょ、とフルーツをたくさん買い込んできたのだった。
たくさん作ったフルーツサンドが入った保冷バッグをヘネッタが持ち、水筒やピクニックシートが入ったリュックをエルロが背負って、家から少し離れた丘へ向かった。家族で出かけるときはいつも近場と決まっている。
エルロはぼんやりと空を眺めながら、丘に居た経緯を思い出した。そういえば、目的地に到着してすぐに寝てしまったのだ。思っていた以上に疲れが溜まっているらしい。
遠くでヘネッタとエラが花を摘んでいるのが見える。花同士を編んで、花かんむりを作っているようだった。エルロが目を覚まして起き上がったのが見えたのか、ふたりはエルロの方を向いて大きく手を振った。エルロもふたりに手を振ると、そろそろ昼食にしようと声をかけた。エラが元気よく返事をし、ふたりはゆっくりエルロの方へ歩き始めた。
エルロは水筒を取り出しながら、じんわりと胸に広がる温かさを感じていた。家族とともに過ごす時間が愛おしくてたまらなかった。
最近仕事が忙しく、身も心も疲弊しきっていたが、こうして家族とかけがえのないひとときを過ごしていると日々の疲れを忘れることができる。今携わっているプロジェクトがひと段落したら、しばらく休暇を取るのもいいかもしれない。同僚のティーガンや妹のロビンも呼んで、ホームパーティを開くのも悪くないな、と思った。
エルロは、ふと、エラとヘネッタがなかなか来ないことに気が付いた。慌ててあたりを見渡すが、どこを見てもふたりの姿を見つけることができない。胃から冷たいものがせり上がってくるような感覚がして、急に汗が吹き出してきた。
そうだ、ふたりは死んだんだ。
そう思った途端、突然右腕が焼かれたように熱く痛み始めた。とっさに左手で押さえようとしてエルロは驚愕した。
右腕が、ない。
「ッ───!!!」
エルロは勢いよく飛び起きた。叫びながら起きたはずだったが、口内が乾燥しきっていてうまく声が出せなかった。
「ッア……」
起き上がった衝撃で右腕が刺すように痛んだ。歯を食いしばって耐えようとしたが、次から次へと腕から体全体に激痛が走り、口から呻き声が止めどなく溢れる。
しばらく呻いたりうずくまったりしながら呼吸を整えていると、だんだん周りを見る余裕がでてきた。焦点がうまく合わずぼやけて見えるが、コンサーンの医務室のベッドに横たわっているらしい。遠くで医療スタッフや兵士が何か話しているが、意識が朦朧としているエルロの耳には何一つ入ってこなかった。
エルロは徐々に意識が闇に沈んでいくのを感じながら、自分の体を見た。ジャケットは脱がされていて、血が滲んだ白いシャツが見える。
(リボンが……)
エラが気に入っていた緑のリボン。
聖罰のあと、家の残骸を漁っていたときにエラの死体から拾い上げた緑のリボン。
あのときの苦しみを、憎しみを忘れないために身につけていた緑リボン。
あの鮮やかなリボンは見当たらなかった。
(エラ……ヘネッタ……)
ふたりの顔を思い浮かべながらエルロは意識を手放した。